スタートアップエコシステム成長の鍵を握る「経営と育児の両立」の課題と改善案

2024-10-25

    スタートアップエコシステム成長の鍵を握る「経営と育児の両立」の課題と改善案

    社会保険労務士事務所ヨルベ代表 金山 杏佑子氏に学ぶ

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    Startup Next編集部がお届けする、起業家のライフ特集。
    ビジネスの側面だけでなく、子育てや婚前契約、健康など、起業家という人生・生活を送る上でのヒントになる話をお届けします。今回のテーマは「経営と育児の両立」です!


    昨今、「働き方改革」の一環として育児・介護休業法の法改正が相次いで行われ、育児と仕事の両立を支援する施策が強化されてきています。しかしこれは従業員に限った話で、経営者への支援はままならず、育児と経営の両立の難しさで悩む経営者は非常に多いという実態をご存知でしょうか。

    今回は、スタートアップの労務に詳しい社会保険労務士事務所ヨルベ代表の金山杏佑子氏に、「スタートアップ経営と育児の両立」における課題と改善案をお伺いしました。

    筆者プロフィール

    ※役職や肩書きは2024年10月24日時点のものです。

    ■金山 杏佑子(社会保険労務士事務所ヨルベ 代表)

    社会保険労務士事務所ヨルベ 代表。 東京大学法学部卒業後、三井住友銀行、郷原総合コンプライアンス法律事務所での勤務を経て、2019年に社会保険労務士事務所を設立。設立から一貫してスタートアップの労務支援に注力。
各種アクセラレータープログラムのメンター活動を通じた労務管理のアドバイザリーの提供や、労務を切り口とするエコシステムの改善に向けた情報発信を積極的に行っている。

    共著『IPOの労務監査 標準手順書』。

    0.問題提起

    従業員とは違い、法で守られない経営者

    スタートアップ経営者にとって、育児と経営の両立は大きな課題です。日本では、経営者(会社法上の取締役を指します)は、雇用される立場ではないことを理由に、育児休業期間中の所得保障の対象外となっており、法律上の保護が十分ではありません。

    一方で、従業員に対しては、昨今、育児・介護休業法の法改正が相次いで行われ、育児と仕事の両立を支援する施策が強化されてきています。これは労働力人口の減少に対応して働き手を増やす「働き方改革」の一環ですが、後述の通り、経営者に対しても、育児と経営の両立を後押しする施策が求められます。

    育児と経営の両立の難しさは、金銭面だけでなく、時間面や心理面にも存在します。

    一般的に、スタートアップは短期間で非連続的な成長を目指しており、経営者が育児のために一時的に経営から離脱することは、資金調達の遅れや事業の停滞といったリスクを伴います。

    また、外部の投資家から資金を調達し、リターンを期待されている状況の中、育児休業を取ることが意思決定に遅れを生じさせて事業推進に悪影響を及ぼすのではないかという不安が、経営者自身の決断を躊躇させます。このように、育児休業の選択は、経営者にとって心理的な負担となり、結果的に経営と育児の両立を阻むことに繋がります。

    個人の問題にしてはいけない

    こうした問題は、個別のスタートアップの経営や経営者個人のライフスタイルにとどまるものではありません。スタートアップエコシステム全体の問題、そして、国全体の課題として認識すべきテーマです。

    政府はスタートアップ5ヵ年計画でスタートアップの数や規模を拡大することを目標に掲げています。この点、育児と経営の両立ができないことが、経営者人材の創出の障壁となっています。また、育児を選択できない経営者層が増えることは少子化を進行させる要因となり得ます。経営者が育児を選択できる環境を整備しなければ、出生率の低下がさらに深刻化する可能性が高まります。

    経営と育児の両立にかかる課題は、男性経営者と女性経営者の両方に当てはまるものですが、本稿では特に女性経営者の課題に焦点を当てて考えてみたいと思います。なぜなら、女性経営者が直面する育児休業取得における障壁が、出産後の早期復帰や長期的なキャリア中断といった具体的なリスクとして顕在化しているためです。
    
    また、女性経営者の問題を解決することが、結果的に男性経営者の育児休業取得の問題にも、包括的な改善策を提供する可能性が高いと考えられます。
    
    もちろん、男性経営者においても、育児休業を取得する必要性は女性と同様に存在しています。この点、従業員に対しては「産後パパ育休」のような新たな制度が設けられ、男性の育休取得率の改善が数値目標としても掲げられていますが、経営者はこうした施策の対象外となっています。スタートアップ経営者全体にとって、育児と仕事の両立を可能にする制度の整備を検討することが重要です。

    本稿では、経営者が育児休業を取得する際に直面する課題を整理し、解決策を提案していきます。なお忘れてはならない視点は、育児が個人の選択であるという点です。育児を推奨するものではありませんが、育児を選択する経営者がキャリアを中断せざるを得なかったり、企業成長に悪影響を与えたりする状況を改善することが、スタートアップエコシステムの持続的な成長に不可欠であることは明らかです。

    1. 現状の制度と生じている課題

    なぜスタートアップ経営者は育児を選択しづらいのか

    経営者が、従業員と比較してどのような保護の範囲外となっているか、概観します。

    前提として、育児にかかる休業期間は「産前産後休業期間」と「育児休業期間」に分けられます。「産前産後休業」は、出産を行う女性を対象に、母体の健康を保護するために設けられており、社会保険(健康保険)から「出産手当金」が支給されます。

    一方、「育児休業」は、育児と仕事の両立を支援する目的で設けられた休業制度です。原則として、子が1歳になるまでの期間に取得でき、雇用の継続を支援するために、育児休業中は雇用保険から「育児休業給付金」が支給されます。

    この制度は、従業員が出産や育児のために一定期間仕事を離れる際に保障を受ける仕組みとして機能していますが、問題は、「育児休業期間」にかかる制度が「従業員(=被雇用者)」に限定されている点です。

    経営者は社会保険の加入対象ですが、雇用保険には加入しません。そのため、育児休業を取得しようとしても、法的に保障される給付金や休業制度を利用することができません。従業員であれば、原則として1年間は通常時の手取りが保障されるような制度(給付金の支給と社会保険料の免除)となっていますが、経営者にはそうした制度は存在しません。

    金銭的・時間的・心理的な負担が存在

    なお、実稼働に応じて給与を受け取る従業員とは異なり、経営者の受け取る役員報酬は、休業しているからといって直ちに支給停止や減額されるものではなく、会社の経営判断によります。とはいっても、会社の経営観点からは、育児に専念し、稼働していない期間について従前通りの役員報酬の支給を継続するという選択は取り難いことも十分に想定されます。

    金銭面に加えて、スタートアップの経営者は、通常、資金調達や事業拡大といった多忙な業務に追われており、時間的にも育児休業を選択することが難しい状況にあります。

    心理的にも、投資家や株主の期待に応える必要があり、育休中に経営から離れることが、事業の停滞や資金調達の遅れを招くリスクが高いと見られています。このプレッシャーにより、経営者が育児を選択しづらいケースも生じています。

    産前産後休業期間

    育児休業期間

    期間

    女性:産前6週〜産後8週間
    男性:不存在(育休期間に包含)

    女性:産休後〜原則子が1歳まで
    男性:出産日〜原則子が1歳まで

    給付金

    社会保険:
    出産手当金(約67%)
    出産育児一時金(42万円)
    (給付の趣旨:母体の保護)

    雇用保険:
    育児休業給付金(約67%)

    (給付の趣旨:雇用の継続)

    その他制度

    社会保険:社会保険料免除

    社会保険:社会保険料免除

    所得保障

    出産手当金と社会保険料免除で概ね通常時の手取りがカバーされる

    育児休業給付金と社会保険料免除で概ね通常時の手取りがカバーされる
    ※ただし、金額上限が設けられており、報酬が約46万円以上の場合は上記割合が小さくなる。

    従業員は?

    女性:対象

    女性:対象
    男性:対象

    経営者は?

    女性:対象
    役員報酬について、休業中も支払継続するか、支払停止し本人が出産手当金を受給するかは会社の選択による

    女性:育児休業給付金の支給対象外及び社会保険料免除の対象外
    男性:育児休業給付金の支給対象外及び社会保険料免除の対象外


    役員報酬について、休業中も支払継続するか、支払停止するかは会社の選択による
    ※後者の場合に所得保障の対策が必要になる。

    経営との両立において重視すべき点

    男女共通:
    ・育児と経営の両立

    女性:
    ・妊娠期間中〜産前産後期間の体調面 
    └最低でも2ヶ月以上は経営からの完全な離脱
    └加えて、体調面はコントロール外の要素が大きい

    男女共通:
    ・育児と経営の両立

    女性:
    ・産後期間の体調面

    グローバルとの比較

    前述の通り、日本では、従業員向けに1年程度の育児休業制度が整っており、支援措置も一層充実する傾向にある一方で、スタートアップ経営者にはその適用が限られています。この点、経営者が経営と育児を両立させるための方策について、他国の事例を見ると、必ずしも完全な離職が求められるわけではなく、部分的な勤務やリーダーシップの共有といった柔軟なアプローチが一般的です。

    アメリカでは、経営者や従業員にも連邦レベルの有給育休制度が存在せず、育児と仕事の両立が自己管理のもとで行われています。例えば、元Yahoo! CEOのマリッサ・メイヤーが出産後2週間で復職した事例は、株主からのプレッシャーや企業文化の影響を反映しています。ただし、この早期復職は、アメリカでも批判の対象となり、必ずしも推奨されるモデルではありません。

    北欧、特にスウェーデンやデンマークでは、育児休業が奨励され、幹部層がリーダーシップを共有する体制が整っているため、経営者が育休を取得しても組織が円滑に運営されます。これにより、短期間の育休でも必要な業務を継続できる仕組みが整えられています。

    ニュージーランドでは、首相が産後6週間の育休を取得した例もあり、部分的な勤務と育児の両立を求められるケースが多いです。こうしたモデルは日本のスタートアップ経営者にも参考になるでしょう。

    日本の育児休業制度は他の先進国と比べて高水準にありますが、スタートアップ経営者にとっては、従業員とは異なるアプローチが必要です。例えば、完全な育休取得の選択肢のみならず、部分的な勤務やリーダーシップの共有、所得保障を両立させる仕組みが求められます。2022年からスタートした「産後パパ育休」のような部分的勤務の制度は特に参考になります。

    さらに、スタートアップの経営者には全ての業務を自身で担うのではなく、権限移譲やリーダーシップの共有を促す文化を作り、中長期的な経営の安定と持続可能性を高めることが重要です。

    参考:スタートアップCEOが語る「経営と子育て」/ YOUTRUST岩崎さん×SHE福田さん×RECEPTIONIST橋本さん

    2. 改善策

    経営者という立場は、従業員と比較して、より大きな裁量を持って仕事を調整することができるという特長があります。育児休業制度が法的に整備されていなくても、経営者は自分の働き方を柔軟に決めることにより、育児と経営を両立させる工夫をすることが可能です。

    例えば、一部業務のリモート化や、重要事項に絞って意思決定を行う体制を整えることで、育児の負担をカバーしつつ、経営にも関わり続けることができます。この裁量性を活かし、適切なサポート体制を導入することで、経営者が育児を行いながらも、企業の成長を維持することが可能となります。

    育児と経営を両立できる環境を整えるためには、短期的および中長期的な視点に基づき、スタートアップ経営者の実務的なニーズに応じた施策が求められます。

    短期的には、事業継続計画(BCP)の策定、投資家との合意形成プログラムや育児経験者同士のコミュニティ形成が挙げられます。これにより成功事例の共有や相互支援が行われ、育児休業取得に対する心理的な負担が軽減されます。

    中長期的には、育児休業給付金に対応する所得保障の実現、社会保険料免除措置の適用、税制優遇措置の導入が考えられます。

    短期的施策(案)

    ①リーダーシップの共有と事業継続計画の策定

    育児休業中も組織が停滞しないよう、幹部や次世代リーダーを育成し、意思決定の権限移譲とプロセスを明確化した体制を整備します。リーダーシップを分散・協力的に共有し、経営者不在時でも組織が持続可能な成長を遂げる仕組みを構築します。短期的な経営者不在に備えた事業継続計画(BCP)を策定し、経営に関わる重要な意思決定が滞らないような体制を整えます。

    ②投資家との合意形成プログラム

    VCや投資家との間で、育児休業をリスクではなく、計画的に取り組むべき要素として扱うガイドラインを作成します。育児休業取得が事業推進や資金調達に悪影響を与えないことを合意し、投資家の期待を調整します。なお現在、金融庁が主催となって「ベンチャーキャピタルにおいて推奨・期待される事項(VCプリンシプル)」の策定を進めていますが、こうした動きを参考に、経営者の育児と経営の両立についてもガイドラインが設けられると望ましいと考えられます。

    ③育児経験者のコミュニティ形成

    スタートアップ支援機関やエコシステム内で、育児と経営を両立させた経営者同士が情報を共有し、支援し合うコミュニティを形成します。このコミュニティは、育児休業を取得した経営者が成功した事例を積極的に共有することで、心理的なハードルを下げ、育児休業取得をポジティブに捉える文化を醸成します。具体的には、支援機関の担当者がファシリテーターとして、定期的なミーティングやワークショップを開催し、参加者同士のネットワーキングを促進します。

    中長期的施策(案)

    ①育児休業給付金に対応する所得保障の導入

    経営者が育児休業を取得する際、従業員向けの育児休業給付金制度を拡張し、経営者にも適用できるようにします。これにより、育児休業中の役員報酬が支払われない場合でも経済的なリスクを軽減し、安心して育児休業を取得できる環境を整えます。

    ②社会保険料免除措置の適用

    経営者による育児休業も、育児介護休業法に基づく育児休業とみなすことなどにより、社会保険料免除措置を経営者にも適用できるようにします。育児休業期間中の社会保険料負担を削減し、キャッシュフローへの影響を抑えながら、育児休業を取得できる環境を提供します。

    ③税制優遇措置の導入

    育児休業を取得する経営者に対し、特別な税制優遇措置を導入し、金銭的負担を軽減します。例えば以下のような施策が考えられます。

    • 育児休業中の役員報酬に対する所得税減免:育児休業中の役員報酬に対して所得税の減免措置を設け、税負担を軽減する

    • 育児休業取得者に対する税額控除:育児休業を取得した経営者に対し、所得税や法人税に対する控除を適用する

    • 育児休業関連の経費に対する優遇措置:育児休業中の経営者が発生させる代替人員の人件費や育児関連の支出に対する法人税の優遇措置を導入する

    3. まとめ

    スタートアップ経営者の育児と経営の両立は、個々の企業だけでなく、エコシステム全体の成長において重要な課題です。現在、日本の制度は、従業員向けに育児休業の支援を充実させている一方、経営者にはその適用が十分ではありません。

    さらに、スタートアップの特性上、短期的な非連続的成長を目指す中で、経営者が育児のために一時的に離脱することは、資金調達や事業推進にリスクをもたらす可能性があります。このため、経営者が育児休業を取得しやすい環境を整えることが求められます。

    金銭的側面では、経営者が雇用保険の育児休業給付金を受給できないことが阻害要因となり得ます。これに対して、当該給付金相当額の支援の検討や社会保険料の免除措置の適用、税制優遇措置など、収入を補填する施策が考えられます。育児休業中の経営者の収入減少リスクを軽減することで、育児を選択しやすい環境を作り出すことを目指します。

    心理的側面においては、育児休業取得に伴う事業停滞のリスクが、経営者に大きなプレッシャーを与えています。投資家やVCが育児をリスクと捉えず、前向きに支援するためのガイドラインや合意形成のプログラムを導入し、スタートアップの成長と育児の両立を促進する体制が求められます。また、育児と経営を両立させた経営者同士が支援し合うコミュニティを形成し、前向きかつ具体的に検討できるような文化を醸成することも効果的です。

    時間的側面では、経営者の育児休業取得中に事業が停滞しないよう、リーダーシップの共有や事業継続計画の策定が重要です。権限移譲を進め、経営者が不在でも意思決定がスムーズに行われる体制を整えることで、短期的なリスクを回避しつつ、組織全体の成長を後押しすることができます。

    スタートアップの成長は、経営者個人の持続的なパフォーマンスに大きく依存します。育児と経営を両立できる環境を整えることは、単に経営者個人の問題に留まらず、スタートアップエコシステム全体の向上に直結する重要なファクターです。本稿を切り口に、制度改革や支援体制の充実についての議論を深め、より多くの経営者が経営と育児の両立を実現できる環境の整備に繋げていきたいと考えています。

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